それで、幸せになったのかい?

中高年が幸せになったって、いいじゃないか。そんな中高年の幸せの方法論を探していきます

ナヤミムヨウ

Iさんは私としばしば仕事をする仲間だが、数年前、会社での役職が下がってしまった。そのことについて思い悩みつづけている。私としては、その気持ちに強く共感するものの(誰だって弱く傷つく)、でももう忘れてしまえ、と言いたい。私は、彼に幸せになってもらいたい。そのことに囚われ思い悩むことは、幸せになることに1ミリも貢献しない。そのエネルギーを前進することに振り向けるほうが、よっぽど幸せになれる。

悩むのをやめたほうがいい、もうひとつの理由は、その問いにはバカバカしい答えしかないからだ。彼が知りたいのは「自分のどこが悪かったのか、どこを直せばいいのか」だが、私に言わせれば、低評価だった要因は、仕事のポジショニングが8割、性格が1割、その他1割だ。「仕事のポジショニング」とは、今の部門でフロントマンとして立って仕事をしていたことだ。

私たちの部門はロヒンギャと同じである。会社のメインストリームから遠く離れた辺境で生きる、歓迎されざる被差別民族なわけで、何かあると必ずしわ寄せを食らう。Iさんや私たちは、辺境の地で一生懸命仕事をしていたけれど、そこそこ目立っていた割に、会社にとって夢が実現したと思うほどの成果は生まれなかった。上層部にいる誰かが、(環境や難易度も考えず)これは十分でないというメッセージを発し、現場のフロントに立っていたIさんがとばっちりを受けた、というだけだろう。流れでそうなっただけであり、Iさんがメインストリームの部門にいて、同じ力で仕事をしていたら起こらなかったものだ。ホントにバカバカしいが、それでいてよくあることであり(と思う)、だからこそIさんは、即刻悩むのをやめるべきなのだ。

その時受けた低評価で、仲間からの信頼が失われただろうか。直接仕事を見ることもない上層部の、それも誰かわからない人からの評価よりも、一緒に仕事をする仲間からの評価を信じることを、私は望みたいです。